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December 23, 2008

佐藤元首相の外交文書公開にみる政治家の<覚悟>

 Eisaku_sato

 佐藤首相が訪米したのは、1965年1月であるから、44年前のことである。
 当時は、70年安保反対闘争が盛んなころで、中国が核実験に成功した中での訪米だった。

 当然、佐藤首相の訪米の目的は、日米安保の強化と、(そして核を持たない日本国の安全のために)「アメリカの核の傘の下」で国を守る意思の表明であり、アメリカとの再確認であった。

 外交文書の公開で、(日中戦争の場合)「米国がただちに核による報復を行うこと」をマクナマラ国防長官との会談で表明していたことがわかった。

 この佐藤首相の首相として国を守るための断固たる姿勢は、評価して良いではないか?
 これでこそ、首相としての国を守る<覚悟>があり、政治家としては称賛されるべきことである。

 総理大臣は、[特に外交・防衛については]相手のあることについては、駆け引きがある、「ウソもつく」こともある。
 人気取りなど関係ない。
 すべて、国のため、国益のために動くのが、立派な政治家である。

 一部マスコミは、相変わらず「非核三原則」という表向きの発言とは裏腹に、このような「核戦争」を容認しているような「密約」を非難している。

 大阪府の橋下知事風に言うならば、相変わらず「馬鹿ですねえ」と言いたい。

 「非核三原則」と言ったって、米軍の艦船が核を搭載していることは、誰もが予想していたことである。
 だからこそ、周辺国を軍事侵略していた共産党・中国が、日本を攻撃できなかったのである。

 核抑止力が作用していたのである。

 「非核三原則」で、ノーベル平和賞を受賞した佐藤首相であるが、「それがおかしい」というなら、言葉だけの「非核三原則」なら馬鹿でも言える。

 佐藤首相が偉いのは、そんな「非核三原則」という言葉ではない。
 ノーベル平和賞を受賞したからでもない。

 戦争を防止するために、見え見えの「三原則」を唱えながら、核による戦争抑止(パワーバランス)を採用したことである。

 「日本は核武装できる」としながら「核武装はせず」「日米軍事同盟の強化」のために覚悟を示した佐藤首相は称賛されるべき政治家である。

 共産党・中国が核保有をする中、確実に日本の安全保障を実現するという、佐藤首相の外交手話が発揮された。
 そのことがよくわかる外交文書の公開であった。

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